河口正紀(てんじん)くんのこと

 1965年岐阜生まれ。小学校4年生の頃から放浪の片鱗を見せはじめる。日本ジャーナリスト専門学校中退。84年中国旅行。85年インドからアジアの旅を経て、87年にはアジアからアフリカへ約2年の旅に出る。89年4月南アフリカ共和国にてマラリヤの為に倒れる。享年23歳。
−−以上、喜望放浪より−−

 彼とは平成元年にザイール(現コンゴ民主共和国)のキンシャサで会った。てんじんくんは我々(三五康くん=弁慶)と同じケニアのナイロビからザイールに向かった。てんじんくんの相棒はカニくんというあだ名の同年の青年だった。私と三五君はてんじんくんもカニくんもまったく知らない仲だったが、我々は同時期にアフリカを横断してザイルー川を下り、首都キンシャサで偶然にめぐり合った二組の命知らずの旅人だった。その詳細は私の「アフリカ音楽探検紀(情報センター出版局)」に詳しい。
 私たちの旅はさて置き、てんじんくんとカニくんは何と!手漕ぎの丸木舟でザイール川をキサンガニからキンシャサまの1750キロメートルを51日間かけて川下りをしたのだった。

 我々とてんじんくんはその時が初対面で、たったの一度、数日しか一緒にいなかった。その後、てんじんくんは南アフリカに向かう途中マラリヤに倒れたというのを風の噂に聞いた。

 この若き河口君は自分探しの旅にアジア・アフリカを放浪した。ザイール川の川下りは目的ではなく、旅の単なる途上で出会った成り行きだった。ここで彼は奇をてらったわけではない。敢えてそういう冒険という手段を試みることで、より異なった視点で新しい発見をしようと挑戦したのだった。

 彼の日記を元に遺族や友人が1992年(平成4年)「喜望放浪」を武蔵野書房から出版した。私は縁あって武蔵野書房の店主からその著書を譲り受けた。それから約12年、私は改めてこの本を読んだ。この本に出てくるザイール川沿いの町の名に、私は懐かしさでいっぱいになった。いや、そんな私事はさて置き、この本がとんでもなく秀逸な書籍であり、記録であるということに改めて感動したのだ。

 私はアフリカ横断の旅を終えて約1年後、コロンビア領レティシエのアマゾンの川べりに立っていた。そこで高野秀行くんというライターに出会った。彼もアジアやアフリカはもとより世界中を旅した経験をもつ若者だった。あれから13年、高野君は今や十数冊の著書を持ち、押しも押されぬ中堅の作家になった。
 もし、河口君が生きていたなら、その豊かな感性と鋭い洞察力で、高野君のよきライバルとして出版業界で活躍しているであろうし、国際的なジャーナリストとして活躍しているであろう事は想像に難くない。

 沢田教一の「ライカでグッドバイ」や、上温湯隆の「サハラに死す」が冒険心に溢れた若者たちの心を揺さぶるが(もちろん私も)、この河口君の喜望放浪も決して引けを取らない。だが、マスコミに疎い彼の親御さんはマスコミに売り込むというよりも、河口君の遺書としての出版で、親御さんとしての気持ちのケジメをつけたかっただけなのだろう。

 したがってこの喜望放浪は一部の人たちを除いて、世間の注目を浴びなかったし、インターネット書店にも登録されていない。私としては、この本がこのまま時代に埋もれていってしまうことが勿体無い。河口君の生き方をひとりでも多くの若者達に読んで欲しい。


 ネットで「喜望放浪」は出てこないが、「河口正紀」では幾つか出てくるので、読んでみてほしい。
 http://www.interq.or.jp/sun/miyamay/title.html

 合掌

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