アトランダムに旅の思い出/掲示板より

これは普段の生活の中で、「ふっ!」と思い出した旅のワンシーンを綴った物だ。
したがってまとまりも連続性も一貫性も無い。


3165.旅の回顧/ウガンダ/その1 返信 引用

名前:のなか悟空 日付:2月4日(木) 13時28分

■ウガンダ/カンパラのストリート
 10年ほど前だったか、カンパラのメインストリートでカリンバを演奏している盲目のオヤジがいた−−−乞食だ!といってしまえばそれまで。繁華街の道端で歩行者の邪魔になりながらも、小さな小さな音のカリンバを、脇に空き缶を置いて爪弾いていた。そのオヤジにふと自分を投影して、オヤジの写真を撮りたくなった。

「オジサン、グッドサウンドだね。写真を撮っていいかい?」
「いいとも。ワシはコレでもう幾つもの国でツアーして歩いたんだぜ」
(道端で?)−−−とは聞けなかった。
「そりゃあスゴイや!」
思えばオイラも幾つもの国々の空き地や道端で演奏したが、オヤジのスゴイのは、それで食えてること。

 そこでオイラは腹ばいになったり、横向きになったりして、オヤジの顔を撮った。残念ながら音は撮れなかったが、オヤジの音と盲の表情に、路上演奏の教祖を見た。
 沢山のコインを入れて空き缶に大きな音を立ててあげたかったが、残念ながらウガンダにはコインが無い(今は知らないが)。オイラは路上の神に敬意を表して、多めに紙幣を入れてあげた。

有難う!おやじ。元気が出たぜ。





3357.旅の思い出/キャベツの味噌汁/コスタリカ/1 返信 引用

名前:のなか悟空 日付:6月2日(水) 8時46分
■コスタリカでの味噌汁の味
 中南米を10ケ国ほどドラムを持って旅をして、ブラジルでドラムセットを売り、身軽になって帰国の途にあった。ブラジルのベレンからフランス・ギアナ、スリンム、ガイアナ、ベネズエラ、そしてコスタリカ領のサンアンドレス島から首都のサンホセに飛んだ。

 6ヶ月にわたる旅で、ワシの心はボロボロに疲弊していた。
疲弊の原因のひとつは言葉の問題もあるが、「チーノ口撃」もあった。そのチーノ口撃というのは、(今は知らないが)中南米を旅する日本人が誰しも経験する人種差別発言で、アジア人と見ると意味も用事も無く、「ヘイ、チーノ!」と侮蔑的に投げかけてくるのだ。

 サンアンドレスの市場に行けば安いオカズを買える。だが市場の人ごみで「ヘイ、チーノ!」とやられると頭にくる。だがそれに耐えてキャベツやコメを買う。それを持ち帰り、ベニヤ板一枚で隣室を隔てる1泊が300円ほどの安宿に泊って、日本食を自炊するのが唯一の郷愁と孤独感と疎外感に耐える唯一の時だった。

 コメは1合ほどをキャンピング・ガスで。キャベツを刻んで味噌汁を作る。キャベツの味噌汁は好きじゃないが、適当な具がキャベツしかなかったからだ。だから今でもキャベツの味噌汁を作ると(今朝作った)、あのコスタリカでの募る孤独感に黄昏た日々を回想するのである----ちなみに、自室で煮炊きをしていたというので、すぐに宿を追い出されてしまったのであった。



3358.旅の思い出/豪華なエレガント靴/コスタリカ/2 返信 引用

名前:のなか悟空 日付:6月2日(水) 9時16分
■これを見ろ!豪華なエレガント靴
 コスタリカ/1で言ったように、「チーノ口撃」にほとほと疲弊していたオイラは、その原因のひとつが履物にあると知っていた。なんせ中南米では、『足元を見る』というコトワザそのままで、例えパンツは破れていようとも、靴さえピッカピカならば一目置かれるという習慣がある。

 コスタリカまではボロい安全靴を履いたり、ゴムゾーリを履いていたりしていたオイラたが、言われも無い差別発言でストレスを感じるよりは一丁特別にいい靴を履いて、「チーノ口撃」から身を守ろうと思ったワケだ。

 そこで「チーノ!」と意味も無く呼びかけられたその足で、とっとと靴屋の前に立ち、ショー・ウインドーに並んでいる靴の中で一番カッコ良くてゴージャズでエレガントな革靴を買って履いたのである。なんせドラムセットはブラジルで2000ドルもの高価で買ってくれた日系電気関係企業のS社長がいたから、フトコロ具合はいいのだ。

 古いゾーリを捨てて買った靴を履いた。その足で再び市場に引き返すと、先程「ヘイ!チーノ!」と声を掛けてきたインディオのオバチャンがオイラの足元を見て絶句した。そう、中南米では高級な靴は水戸黄門の印籠ほどの価値があるのでアル。




3359.旅の思い出/50ドル返してくれ!/コスタリカ/3 返信 引用

名前:のなか悟空 日付:6月3日(木) 7時5分
■50ドル返してくれ!
 カリブ海に浮かぶコスタリカ領のサンアンドレス島から、首都のサンホセに飛んだ。サンホセの空港の出口で100ドル札を出して50ドル分両替と言い、おつりを50ドル貰った・・・つもりだった・・・。

 市内に出て安宿を確保した時、「あれっ?50ドルおつり貰ってねぇや!」と気付く−−−慌ててタクシーに乗り込んで空港へ走る。両替する場所の担当のおじさん(本人かどうかは覚えていない)に、両替のレシートを見せて言った。

『2時間ほど前100ドル札を出して50ドルを両替した者だけど、つり銭の50ドルを貰ってないのを思い出したから来た!』
と、必死の形相で言った。

 さて、これがフィリピンなら絶対に無理。アフリカの行ったことのある国々でもまず無理。中米諸国でも無理だろう。それでもその時のワシは必死だった。ワシの下手なコトバと勢いに気圧されたのか、意外とスンナリと50ドルを返してもらった。

 こんなミスでもつり銭が帰ってくる可能性のある国は・・・まず最初に「日本」、次が「タイ」か?後の国々は多分ムリだろう。




3650.ベトナムのついでに/騒音について考える/3 返信 引用

名前:のなか悟空 日付:10月22日(金) 8時10分
 一応、ドラムなどという大きな音を出す楽器を、長い間やっているので、音については過剰なほど神経質である。そこでふと、騒音について考えてみた。

<嫌いな周波数がある?>
 ハノイから中国国境の町、ラオカイに向かう夜行列車の中で------乗客が寝静まっている深夜、とある駅から数人のオバちゃんたちが乗り込んできた。既に車内の照明は消されていたのだが、オバちゃんたちは車内の照明をパーッ!と辺りを憚ることなく大声で喋りながら点けて大夜食大会。

 ま、正規に乗車券を買っているのだから、車内で照明を点けようが大声で喋ろうが、食べようが勝っ手ではある。だが、ワシが驚いたのは、他の乗客は誰も文句を言わないことだ。ベトナムにはベトナムのルールと常識があるのだろうから、ワシの出る幕じゃない。出たとしても一言も言葉が通じるワケでもないし。目を瞑って仮眠していた部外者のワシは、随分ながい1時間半もの時間をずーっとガマンしていた。 

 全く言葉は分からないし、後ろのボックスなので、数人のオバチャンたちの顔は見えないが、喋り声で不快に感じるサイクルの声質があることに気が付いた。そりゃそうだ。心地いい声があれば、不快な声があったいい。もちろん声の持ち主には何の責任は無い。その人間のDNAの問題だからだ。

 高い声は嫌い。オペラ系のソプラノが嫌い----自分はこれまでそう思い続けていたが、後ろの席で喋っていたオバチャンの声は、低いものだった。これには我ながら驚いた。低い音でもその声の質やサイクルで不快な音があるのだと。



3651.ラオカイからサパへ 返信 引用

名前:のなか悟空 日付:10月22日(金) 8時33分

<約束が違うぞ!>
 ハノイから2等の夜行列車で、ラオカイに行った。ラオカイから有名な山間部の観光地サパに行くためだった。だが、駅前にあるサパに行くためのバスに乗り遅れたワシは、別のサパに行くためのバス乗り場まで、バイタクで行かねばならぬ。基本的には健康の為に歩くと決めていたのだが、なんせ2−3キロはありそうなので、乗り場に行くためには、バイタクで行くことにした。

 時間をかけて交渉した結果、2ドルで話が決まったのだが、道程の8割がたほど行ったところ、で運転席しながらバイタクの運ちゃんが言う。「やっぱり2ドルだ」、それを聞いたワシは後ろの席から、無理やりバイクのアクセルを握って戻し、ブレーキをかけて止めた。「降りるわ」と、いうことで約束の1ドル(といってもたったの82円ほど)だけを払って降りた。そして後は歩くことにした。ま、こういうトラブルはベトナムだけじゃなく、フィリピンだって、ブラジルだってあったことだ。大して気にすることではない。


<捨てる神あれば拾う神あり>
 で、幾らも歩かないうちに反対側からこっちへ向かう1ボックス車が来て、「サパ?」と聞きながら「2ドル」と言う。ま、いいだろう。小一時間も乗って2ドルならねぇ。

 で、乗ったのはいい。その1ボックス車は、どこかの果物出荷場へ行って、ダンボールの荷物を積み込み始めた。が、なんせこんな国のこと、出荷用のダンボールが全部積み込めるようには整っていない。未だ計量しながら梱包しているのである。ま、いい。途上国ではよくあること。そこでワシは適当に買い食いをしながら、1時間以上待ったのである。

 さ、いよいよサパヘ向かうのか?と思ったら、1ボックス車は今来た方向と逆の方向、そう、バイタクを降りた場所へ向かい、さらに近隣の乗客をぎゅうぎゅうになるまで集めながら、サパに向かったのである。ま、仕方ない。車が一杯になるまで目的地に行かないのは、無駄な走行をして、余計な排ガスを出さないというエコロジーの理に叶っているからイイことなのである。アフリカじゃ当たり前の話。ワシは苦笑いしながら乗っていた。






3658.中国雲南省/河口 返信 引用

名前:のなか悟空 日付:10月23日(土) 20時3分

<だっぷん事件>
 よく見る写真ですね。中国河口への国境の橋。ベトナムのラオカイ駅から歩いて2−3キロのところが中国との国境。2週間ほどならノービザで入れます。両替はベトナム側で、で、おばちゃんが常識的なレートで、堂々とヤミ両替をしています。ゼロがドッサリ付いたベトナムドンから中国元への両替ですが、南方の島国のようにゴマかしたりはしないところが好きです。

 アタシはここでタイヘンなことになりました。ベトナム側の国境のイミグレが開く朝の7時の直前、出物腫れ物をところ嫌わないモノを出したくなってしまったのです。大の方です。ところが、どこを駆けずり回ってもトイレがありません。まだ開いていないイミグレを無理やり通してもらって、イミグレのトイレに入ったのですが、まだトイレの入り口のドアがしっかり施錠をされていたのです。 もう、あ・か・ん・・・・。

 昔、インドでもこんな経験をしましたねぇ、ほかでもあったような無いような・・・そんなこたぁ、どーでもよく、もうワシは尻を押さえて、山か、それとも川か、の方へどっと駆け出しました。こんな時のためにリュックの中に紙だけは用意しております。50パーセントの確率で山の方へ駆けて行きました。 山側への道を一直線、両側は商店や食堂があり、朝早くから仕事に出勤する労働者たちが朝食を摂っている姿がありました。が、そんなことはどーでもいい。今さら通じない言葉で、トイレを貸してくださいと交渉しているヒマなんてありゃあせんのじゃあ!! どどーっ!とかけて行ったら・・・万事休す!そこは鉄条網で仕切られて通行止め。だが、そんなことは行ってられないのが、下半身の事情。常識も、言い訳も、話しても通じない緊急事態。ワシはとにかく腹ばいになって、その鉄条網の一番下をくぐって中へ入った。なんだか大脱走の映画のシーンをーが浮かんできた。が、そんな余裕は無い。

 上着のシャツをビリビリと少し引っ掛けて、鉄条網をくぐってみると・・・そこは中国〜ベトナムの鉄道の線路が施設されていた。カマヘン!汽車なんて週に1回しか通りゃせんのじゃ、よしっ!ここじゃ! で、屈んでほっと一息ついた時、斜め上を見上げたら2階のベランダからこちらを見ていた数人のベトナム男性。ワシは反射的に手を上げて、朝の挨拶をした。ちゅーわけ。













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