笑えるカナシイ話







2011-10/24

3658.中国雲南省/河口 返信 引用

名前:のなか悟空 日付:10月24日(日) 8時39分

■だっぷん事件
 よく見る写真ですね。中国河口への国境の橋。ベトナムのラオカイ駅から歩いて2−3キロのところが中国との国境。2週間ほどならノービザで入れます。両替はベトナム側で、で、おばちゃんが常識的なレートで、堂々とヤミ両替をしています。ゼロがドッサリ付いたベトナムドンから中国元への両替ですが、南方の島国のようにゴマかしたりはしないところが好きです。

 アタシはここでタイヘンなことになりました。ベトナム側の国境のイミグレが開く朝の7時の直前、出物腫れ物をところ嫌わないモノを出したくなってしまったのです。大の方です。ところが、どこを駆けずり回ってもトイレがありません。まだ開いていないイミグレを無理やり通してもらって、イミグレのトイレに入ったのですが、まだトイレの入り口のドアがしっかり施錠をされていたのです。 もう、あ・か・ん・・・・。

 昔、インドでもこんな経験をしましたねぇ、ほかでもあったような無いような・・・そんなこたぁ、どーでもよく、もうワシは尻を押さえて、山か、それとも川か、の方へどっと駆け出しました。こんな時のためにリュックの中に紙だけは用意しております。50パーセントの確率で山の方へ駆けて行きました。 山側への道を一直線、両側は商店や食堂があり、朝早くから仕事に出勤する労働者たちが朝食を摂っている姿がありました。が、そんなことはどーでもいい。今さら通じない言葉で、トイレを貸してくださいと交渉しているヒマなんてありゃあせんのじゃあ!! どどーっ!とかけて行ったら・・・万事休す!そこは鉄条網で仕切られて通行止め。だが、そんなことは言ってられないのが、下半身の事情。常識も、言い訳も、話しても通じない緊急事態。ワシはとにかく腹ばいになって、その鉄条網の一番下をくぐって中へ入った。なんだか大脱走の映画のシーンをーが浮かんできた。が、そんな余裕は無い。

 上着のシャツをビリビリと少し引っ掛けて、鉄条網をくぐってみると・・・そこは中国〜ベトナムの鉄道の線路が施設されていた。カマヘン!汽車なんて週に1回しか通りゃせんのじゃ、よしっ!ここじゃ! で、屈んでほっと一息ついた時、斜め上を見上げたら2階のベランダからこちらを見ていた数人のベトナム男性。ワシは反射的に手を上げて、朝の挨拶をした。ちゅーわけ。


■中国のイミグレ
 あんさん・・なんで?アンタはん、そんな難しい顔してワシを見るん?いま南沙諸島のことでモメてるから?そんな事はここじゃカンケーあらへんわ。せめてニーハオ、ウェルカムくらい言ってもええのにね。ま、いいか、入国審査するのがあんさの仕事やもんね。

 ワシのリュックの中にドラムのバチやピアニカが入ってるからって、それは凶器やあらへんで。電池式のメトロノームかて、時限爆弾やあらへんから気にせんでもいいで。

 まぁまぁ、そんなに声を荒げんでも・・・ワシ、英語弱いねんから・・・ということで、イヤな顔はされましたが、どぅってことなく、中国へ入りました。これでこの25年くらいの間に中国に来たのは4度目ですが、今回もイマイチのカンジですねぇ。


2012-12/18
野中の野人/34(敬称略)/息抜きの思い出話 返信 引用

名前:のなか悟空 日付:12月18日(火) 19時45分
■川の字で眠れなかった夜
「元祖・人間国宝」はオイラの解散宣言で川下直広が福岡へ行ってしまい、近藤直司がメインのサックスになった頃のことだ。どこで演奏したのかは忘れたが、その夜は大田区あたりにあった友人の家に泊まることになった。

 寝る場所はコタツと布団が1組--------普通ならそれで足りるのだが、その夜はなぜか若い女性が2人いた。友人の彼女とその彼女のトモダチだ。友人は酒を飲むので、そこそこ酔ってコタツで寝るとのこと。小さいコタツなので男2人が寝るにはお互いの足が邪魔になる。やむなく残されたオイラと女性2人が1組の布団に横になることになったのだが・・・・オイラも若かったが彼女たちも若い。こりゃ大問題である。でもライブの後なので眠い。

 そこでどんなやりとりがあったのかは忘れたが、とりあえずオイラが川の字の真ん中に。それで2人の女子がオイラの両側という、理想的にシチュエーションだ。
 ところが-----横になって天井を見つめて思案するに・・・・寝返りを打とうにも、右を向けば友人の彼女、左側を向けばその彼女の女友達。どっちを向いてもエコひいきをしたようで、背中側の女性に申し訳ない気がする・・・したがってどっちを向くわけにも行かない。


■石の地蔵さん
 しかも---しかもだ。
手だって動かせないのだぞ。もぞもぞ動かした途端、「キャー痴漢!」って言われても困る。じゃ足なら?足だってダメさ。一緒に寝ている以上、足の接触はやむを得ないが、足を女性の身体に乗せるわけにはいくまい。これもツライぞ。

 こりゃマズイ-------ニンゲンってのは寝ている間には本人が無意識のうちに何度も寝返りをする生き物だ。{寝返り禁止!!}と言われれば、よけいに「寝返りしたーい!!」となるのがフツー。それでなくても電車や車でじっとしていることが苦手なオイラにとっては、「気お付け!!」の姿勢で上を向いているのは拷問以外の何物でもない。しかも両側からは若い女性のいい香りが漂ってくる。オイラはまるで石の地蔵さんであった。

 ・・・寝返りしたい・・・でも寝返りできない・・・。
眠い・・・でも、眠れない・・・。

 そんなこんなで寝不足のまま朝を迎えたオイラは
「ったくぅ、昨夜は緊張して全く眠れなかったよぅ~」と、オイラ。。
すると女性軍が猛反撃。
「なに言ってんの、悟空さん大イビキかいて眠ってたじゃないの。あたしたち心配で心配でぜーぜん眠れなかったんだからァ・・・」
「あっ、そ? そりゃまた失礼!」

オシマイ



2012-12/26
野人の悟空・番外編/今だから明かすあの秘密/出入り禁止の店(敬称略) 返信 引用

名前:のなか悟空 日付:12月26日(水) 10時15分
■花火を焚いて・・・ 
 あの夜・・・あれはオイラが富士山でやる前後のことだ。詳細は日記帳を探せばあるだろうが探すのがめんどくさい。

 あのころのオイラは盛んに演奏中に「紙吹雪」を多用していた。しかもアケタの店ではその紙吹雪を真似するプレヤーも出てきたため、店の清掃係には不評で、店では「紙ぶぶき禁止」の張り紙が出したほどだ(笑)

 紙吹雪では満足しなかったオイラは秘密兵器として別に、「爆竹」と「花火」を常備していた。使用するかどうかはそのTPOにより、考えていたが、たまにハズして不評を買ってしまうこともあった。


■バスドラムに花火の花が咲く
 そんなこんなで、たしかアケタトリオでの演奏だった。
ドラムが俺で管楽器のゲストが2人ほどいた。松本おさむか?

 オイラのドラムソロの時のことだ。オイラが秘密裏に持っていた花火と爆竹を見つけた管楽器奏者が、花火に火をつけてバスドラムの穴に差した。オイラは構わずドラムソロを続けたが、花火はバスドラムの穴に刺さったまんまドラムソロに華麗な色どりの火花を咲かせていた。

 さすがに誰かが見かねたのか、花火の刺さっているドラムに向かってコップの水を何杯かかけて消したのだが、そのバスドラムはファイバー製のため水濡れOKで問題はなかったのだが、床がビチャビチャになってしまい、オマケに撒かれた紙吹雪がそれに絡まって、床が無残な汚れを呈してしまっていた。


■火災報知器が鳴り止まず・・・
 そんな時、店のあるビルの中では火災報知器が鳴ったらしいのだが、管理者が不在なのか、報知機のスイッチを切る場所がわからなかったのか、報知機のけたたましいベルが鳴り止まなかったらしい----というのだが、地下1階の店の中にいた我々はドラムの音に消されてそんなものは聞こえるはずもない。噂では消防車が駆けつけて来たの来なかったのと言われているが、定かではない。


■奥さんと2人で庄屋に飲みに行って・・・
 その夜、とうとう火災報知器事件を知らないままライブを終えたオイラは、アケタの奥さんと近所の「庄屋(かどっか)」で、ライブの打ち上げをしていた。

『アケタと悟空の組み合わせは楽しいから、今後も組んでやればいいじゃない』との話を聞きながら祝杯を重ね、お互いにホロ良い気分で盛り上がっていた。

 当時は原田依幸(ピアノ)と望月英明(ベース)との絶倫本舗もやっていたが、シビアな絶倫本舗に比べてアケタとのコンビは癒し系で楽しいバンドになることは、これまで何度か共演してきたことからオイラもノリノリで応じた。


■突然の出入り禁止措置

 以降、なぜだかオイラはアケタの店ではブッキングを組めなくなった。それはオートマチックで絶倫本舗のドラマーも出来なくなったし、ミュージシャンがオイラをドラマーに選ぶのも不可能になった。

 ある時などは韓国から来たパクというピアニストのライブでさえも、ドラマーとしてオイラを指名してくれたにも拘わらず、出ちゃダメと言われ、他の店で演奏をしたのだった。


■寛大なのかセコイのか???
 というわけで、今更30年も近く前の花火事件による出入り禁止処置が解けないというのも、もはやどーでもいい話であるが、オイラが勘ぐるに、出入り禁止はその事件そのものではなく、「庄屋で2人で楽しく飲んだ」−−−−ことにあるんじゃあるまいか・・・と、思っているわけである。

 ことに身から出た錆ではあるが、当時のオイラはアケタによって「ジャズ界の三浦和義」と呼ばれ、女性関係について良からぬ印象を持たれていたため、必要以上の憶測をされたためではないかと信じて疑わないのである。

(あの絶倫の悟空が、ホロ酔のいい女を放って置くはずがない)
との邪推が生じたとしても不思議ではない。ま、いずれにせよ、遠い遠い30年近くも昔の話なのであり、真実は2人の心の中にだけ刻まれているのである。



2012-12/28
野中の野人/その41-2/笑える裏話 返信 引用
名前:のなか悟空 日付:12月28日(金) 8時18分
■叩き語りがライブをしたら
柏市では評判の叩き語りだったため、店のママからいちど自分のバンドでライブをやらないかと言う話が持ちあがった。そこでバンドのメンバー1人につき1万円ずつ位のギャラをもらって、ライブをやることになった。

メンバー
ギター/津村和彦
サックス/近藤直司
ベース/不破大輔かまたは永田利樹
ドラム /のなか悟空

 以上の面子でやったのはいいが、所詮フリージャズ。うるさいことこの上ない。いくら営業先でいつもおとなしい演奏していたとしても、ことジャズのライブとなると、手を抜かないのがオイラのポリシー。
 店のママにうるさいから音量下げてくれと何回もジェスチャーで合図されたが、絶対に音量を下げなかった。おかげでその店でのドラムの叩き語りは、その日を境に仕事を断られてしまった。


■中国のピザはどこに入っているの?
アジア横断となればまず訪れる国は中国。
当時中国のビザは個人では取れなかったため、ビザの取得をある旅行会社に依頼した。

旅行会社からの封筒にはビザを取得したとの手紙と共にオイラのパスポートが入っていたのはいいのだが、封筒の中をいくらかき回しても肝心のビザが見当たらない。そこであわてて旅行会社に電話を入れ、ビザが封筒の中に入っていないとのクレームつけた。旅行会社曰くビザはパスポートの提示にスタンプで押してあるとのこと。ここでオイラは赤っ恥を書いてしまったのだった。



■社長をライブに呼んだら
50万円もカンパをいただいた社長にも恩がある。アジア横断の旅を終えての初ライブは小岩の「オーム」だった。

メンバーは
近藤直司 /サックス
不破大輔/ベース
のなか悟空/ドラム

 そりゃあアジア横断の旅を終えての初ライブだから気合が入りまくり。客だってそれは同じ。それこそ大騒ぎ中の大騒ぎの中、その社長は借りてきた猫のようにちっちゃくなって片隅で震えていた。以降二度とライブに来てくれることがなかった。


■毒薬か劇薬か?人間国宝の演奏
こうやってオイラは我が「人間国宝」の演奏のおかげで、叩き語りの職場を失い、大社長からの支援もカットされたのであった。
 我が「人間国宝」の演奏には妥協はなく、中道もなく、ただひたすらブッ飛ばしあるのみなため、殆どの人々に極端に嫌がられ、ごく希なるマニアにのみ受け入れられる演奏だったのである。

 したがって安易な薬などではなく、かといって毒でもなく、毒薬か劇薬かのカテゴリーに入る演奏なのである。妙なジャンルを何十年も演奏するハメになってしまったが、コレが生業なら今さら変更は出来ないのである。




2012-12-29
名前:のなか悟空 日付:12月30日(日) 8時31分

■ライブ終えて宿泊
 足利でのライブの場合、終電の関係でメンバーは我が家に宿泊することになっている。足利から1時間半余りで我が家に到着すると、まずはシャワーか風呂を浴びて一汗流してから夜食というコースを終えてから就寝の予定。

 今夜最初のシャワーはキューティーみずき嬢。
娘たち特有のながーいシャワーを浴びて、延び延びになったナベうどんを食する。

 ミズキ嬢の次はオイラの入浴。
シャーワーでなくて浴槽じゃないとドラムを叩く四十肩は治らない。そこでたーっぷりと熱いお湯を入れて、肩までのーんびりと浸かる。
 と、そこで台所の流しの下に酒があるのを思い出し、女の子達に風呂の中から声を掛けた。
「おーい、流しの下に酒があるから飲みたかったら飲んでいいぞー!」



■入ってもいい??とミズキ嬢 
 ・・・と、心地よく浴槽に浸って、盛り上がったライブの余韻を反芻していたら・・・外からミズキ嬢の声。
「ごくうさぁ~ん、はいってい~い??」

(な、なにっ?入っていいって・・・風呂にかいっ?)
そ、そりゃあ、いいも悪いもいいに決まってんじゃん・・・けど、そんな事って現実に有り得るの??
お笑いのギャグにあった、

ありえなーい だけども ありえるぅ~♪
ありえなーい だけども ありえるぅ~♪

 そ、そんなことが・・・あっていいのか?オイラは心をトキメかせ、あたかも昔昔、むかぁ~しに好きな子と一緒に某所に宿泊したシーンを思い浮かべた。でもな、現実は小説よりも奇なりというではないか。予想だにしないことが起こりうることが無いとは限らない。

 それに、だ。
それに、ミズキ嬢に続いてサナエ場までもが、
「アタシも失礼しまぁ~す!」
って入って来たらどないしょう・・・・。

 ライブでヘトヘトに疲れてるし、2人の面倒はよう見られんわ。少し悩んだが・・・ま、なるようになるでしょう。

 なーんて思ってはいたものの・・・あれれっ???
ぜーんぜんミズキ嬢の入ってくる気配が無い。そこでワシ。
「おぅ~い!入って来ないのかぁ~!」

すると「もう入りましたよぅ~!」と、ミズキ嬢の返事。
「だ、だって入ってないじゃないかぁ~」と哀願するようなオイラ。
「洗濯機に使ったバスタオルを入れに入ったの」だって。

 なぁ~んだ。
風呂場の更衣室に置いてある洗濯機に洗濯物を入れるために、風呂場に入っていいのかと尋ねただけだったのだ。それをオイラは「浴槽」に入っていいのかと聞かれたのかと勘違いして、「浴場」ならぬ「欲情」しちまったちゅーワケ。(;_;)。




5795.笑えるカナシイ話/凍りついたNHK・FM 返信 引用

名前:のなか悟空 日付:6月6日(木) 9時36分

■FM放送で禁句を!
 20年ほど前はよくラジオに呼ばれたり、テレビの下らない民放にで出ていた時期だ。その中の笑えるカナシイ話をひとつ。

 日曜喫茶室というNHK・FMの長寿番組がある。
司会は、「はかま満緒」で仲間のアシスタントは画家の「安野光雅」だ。それには都合2-3度ほど呼ばれたのだが、その3度目のゲストはフォークの神様と呼ばれた「岡林信康」とこの俺。その時のテーマは環境保護だとかリサイクルだとかだった。

 そこで各々がテーマに沿った話題を提供したのだが、ワシの場合は何故かコンニャク。www。みんなが興味深そうに耳を傾ける中、ワシは言い放った。

「友達に聞いた話で、マスターベーションにコンニャクを用いることがあるんですよね。コンニャクに穴を開けて挿入すると、その感覚がまるで女性のモノとウリふたつだというんです」

「そこでボクも試してみたんですが、これが正に友人の言う通りなんですよ。そこでボクはたまにそれをやっていたんですが、ボクの場合は使ったそのコンニャクが勿体ないんで、洗って食べるんですね。これこそいいリサイクルの見本じゃないでしょうか?」

 ここでスタジオ内が一瞬にして凍りついた。ディレクターの方を見ると、ディレクターも機械をいじってた人たちも、フリーズしてこっちを見ていた。

 あれはたしか、生放送だったと思うが。。。以降、NHKの放送作家から出演の打診は途絶えた。

★写真は有田ハンタ氏



笑えるカナシイ話/ナイロビの安宿で同棲生活 返信 引用

名前:のなか悟空 日付:6月8日(土) 10時43分

<宿無し日本娘>
 もう十数年も前の話−−−−わしはナイロビにいた。
隣国のウガンダに行くためにのらくらと滞在していたのだ。そんな折、ある日系の旅行会社に行くと、今着いたばかりという若24-25才の日本女性がいた。目的は無いがなんとなくナイロビに来たというのだ。もちろん宿は未定。カネもさほど持ってないので、いいホテルには泊まれない。「どうしましょうと」と、その旅行会社に相談に来たという。
 
 それこそ本人の勝手でどーなろうとも本人の勝手なのだが、お嬢さん、ここは日本じゃない。ナイロビですぜ。一晩路上で寝たらアンタ、身ぐるみ剥がされるだけじゃ済まないよ。ってんで

「もし泊まるところが無ければ、ワシの部屋においでなさいな。宿代はツインベッドで450円だから半分負担してくれればいいや。ただしワシはタギコを吸うよ」。ってことになり、さらに
「ワシは取っては食わないさ。もちろんHなこともしないよ。この澄み切った瞳を見てごらん」と、自分の目を指差した。

 若い娘を騙すのはチョロイ。
これが悪い奴だと彼女も毒牙にかかってしまっていただろうが、ここはホレ、口はいやらしいスケベ親父だが、心は天使。意外と安全バイなのは自他?ともに知るところ。

<ママゴトのような同棲生活>
 それから見ず知らずの男女がツインベッドの狭い部屋で寝起きすることになった。
ま、彼女もせっかくアフリカはナイロビまで来たので見たい場所も多々あろう。市内を歩いたりすることでいろいろ相談を受けてアドバイスはしても、彼女にあーせーこーせーの干渉しない。
 たまに行きたい場所が同じ場合は一緒に行くこともあった。そんな程度で異性とはいえ恋愛の対象にならない。だつてワシは妻子持ちだしwww。かといってスキー場の恋ならぬ、思わぬ恋愛感情が芽生える可能性も無きにしも非ず。そんなスリルも無いではなかった。が、ワシは聖人君子www。来るものはwelcomeなのだが、自分から攻勢はしない。

 少なからず配慮したのは着替えの時。
「悟空さん、チョット後ろ向いてて」
と言われれば、素直に「はいよ!」と答えて後ろを向く。
 が、ここでポイント!
すぐ後ろを向くことだwww。すると当然目があうわなwww
すると彼女、「ヤだぁ〜悟空さんったらぁ〜!」となるのだが、ここまでは遊び。2度目を振り向いてはイケナイのが、紳士のマナーでありルール。

 洗濯物は外に干すと持って行かれてしまう恐れが多いので、部屋に干すしかないのだが、彼女の下着は控えめに隅っこに干していましたよ。さすがは日本人女性だね。いいとこある(これが西洋人だと下着の裏側を外側に出して堂々と干しているのを多々見かける事がある−−−とは言え、彼らは自分の下着類さえも洗濯屋に出すことが多いのだが)。

 さて、ふたりは都合1週間ほど同じ部屋で暮らしました。
が、いっさいの男女のトラブルは無し。そのかわりロマンスも無しwww
その最大の理由は−−−彼女はナイロゴに来る直前まで、関東でトラックの運転手をしていたというだけあって、体型は筋肉質。しかもルックスは女子プロレスのライオネス飛鳥に似ていた。

 となれば紳士諸君、分かるよね。
これがウインクの相田翔子ちゃん(おい、古いぞ!)タイプなら、聖人君子でいられたかどうかは自信が無いwww。

帰国後、忘れたころに彼女から手紙が来た。
悟空さんのおかげでナイロビの旅行は楽しかったです。またトラックの運転をしながら頑張っています。またナイロビに行くことがあったら、もっと長期間滞在したいと思っています云々。というような内容だった。いい思い出は大切にしたいものである。



<カナシイ思い出/米と女子の話>
 45年くらい前の苦学生だったころ、米は米屋で売っている最安値の米だった。たしか標準古古米という種類で、米粒の中にアワだかヒエだかが混入していて、米が黄色がかっていた。
 それをあるとき米屋で買って大事に大事に自転車で運んでいたら、紙の米袋が破れて路上に黄色い米が散らばってしまった。米というものは普通白いのだが、黄色い米が散らかってしまっているから恥ずかしいのなんのって。大慌てで手のひらで黄色い米をかき集めて拾ったものだ。
 当時、赤貧で風呂代も無く、風呂は月に1度っきり。シャツもパンツも靴下も1枚ずつだけで、着替えも無かった。音楽学校では女子学生たちから『おもらいクン(マンガの主人公で汚れてい臭い男の子)』と、あだ名を付けられていた。
 それでも俺に交際を申し込んで来た女子もいたから、俺もまんざらではなかったのだろう。それなのに『練習の時間が無いから交際はできない』と断ったから、俺もクソまじめだったんだよなぁ。今思えば可愛いO塚さんだったのになぁ。